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「雑誌盆栽」より水石文化について

  • 水石を愉しむ会
  • 2016年11月26日
  • 読了時間: 2分

 小林憲雄氏の「雑誌盆栽」より水石のコラムを転載させていただきます

 ”何の変哲もない、石を見ているのは側から見れば可笑しくもあろう。

然し石に心を澄まし得る境地に入り得た人こそ大悟の達人であろう。

 石と一言に云うても卑俗醜怪なものに興味を覚えるのは又其人の心底の醜怪を現すものだ、中鉢翁の云はるる「有徳の石」に對して心の慈を覚ゆるものでなくてはならない。

 近来、怪石跳梁 石の趣味が又卑俗に堕しそうである。”

鞍馬石遠山石 まるでお盆のような景色です

水石を知らない人から見れば、ただの石を鑑賞する行為はおかしいものだが、水石に詩的想像力を働かせて山水の景趣や自然の現象を感じとれる人は悟りを開いたといえる達人です。

 水石趣味でも低俗な種のものに関心を持つことは、自身の心の醜い部分を現していることに等しい。中鉢爺が言われた「徳を備えた石」に対して心をいたわり育てることを覚えるべきです。

最近の水石趣味では怪石がはびこり、水石趣味が下品なものに落ちてしまいそうで心配である

 昭和11年8月の盆栽誌より転載させていただきました。

この時代に「怪石、卑俗」と言われるのがどのような形であったか、自分はわかりませんが、いつの時代でも、どんな文化でも同じようなことが言われ、若い人が新しい文化を取り入れ、年寄りが古い文化を守り未来に受け継ぎたいということが言われているのだなと感じました。

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